私は今、団塊シニア世代の真っただ中にいます。

 現役時代は、台湾や中国と随分長い間取引を行っ

 てきました。多くの知己朋友を得ましたが、歳の

 近い方々ですら、すでに物故された人も少なくあ

 りません。もうそういう時なのだろうと思わされ

 ています。


  私は、中学高校時代に漢文をことのほか避けま

 した。国語の勉強すら好きではありませんでした。

 電気通信の世界に進み「Fortran」を否応なしに

 学ばされたのです。

  70歳を迎えて古稀の祝いをするでもなしに、

 論語に興味をもちました。何故だか自分でもよく

 わかりません。ミーハー気分で「論語が中国語で

 言えたらかっこいいだろうなぁ」と思ったくらい

 のことがきっかけです。インターネットで探して

 みると、論語に関する記述をしたホームページは

 たくさんあります。多くが日本語での道徳的解説

 がほとんどだったように思います。そんな中に、

 全章句の「中国語」「書き下し文」「現代訳文」

 の音声を比較的安い値段で売っているサイトを見

 つけました。早速購入しました。独断で選択した

 重要(有名)と思われる章句の中国語音声を繋ぎ合

 わせの編集を行って、ウォーキングの時にスマホ

 で連続して聞けるようにしたのです。そして「聞

 いて」→「しゃべる」を繰り返しました。素読で

 す。白話とはちがって、最初はほとんど聞き取り

 が出来なく集中力を欠いて、色々な雑念が頭の中

 に浮かんでは消えまた浮かぶと言う風に音声を聞

 くどころではありませんでした。それでもウォー

 キングから帰ってわずかに残った一言を思い出し

 ながらテキストを見て、拼音と意味を理解をする

 ということを毎日繰り返しました。面倒くさいけ

 れど記憶を進めるには大事なことです。


   「學而時習之、不亦説乎? 有朋自遠方來、

  不亦樂乎? 人不知而不慍、不亦君子乎?」 

            や 

  「非其鬼而祭之、諂也。見義不為無勇也。」


 が空で言えるようになった時はとても嬉しかった

 です。論語500章句全部を攻略したような気分

 になったものです。実際は始まったばかりで、ま

 だまだ先は長く果てしないのです。


  加地伸行先生(大阪大学名誉教授・論語教育普

 及機構理事長)主宰で「論語指導士」の試験のあ

 ることを知りました。丁度論語の勉強の目標を失

 いかけていたので “これ幸い” でした。インタ

 ーネット上に整理された「論語指導士」試験の為

 の教材が、YOUTUBE動画とテキスト共にあ

 りました。すべてダウンロードし、どこでも勉強

 できるように、自分だけ閲覧できるHPを作制し

 たのです。「中国語文」も「書き下し文」も「現

 代訳文」も「すべての音声」もこのHPにはめ込

 みました。病院の待合室でも、自動車修理のお店

 でも、スーパーの休憩室でも、「聞いて」→「念

 じて(しゃべる)」→「書く」を繰り返したのです。

 これは中国語の良い勉強方法と同じなのです。


  論語指導士の試験は夏の暑い盛りにありました。

 お茶の水駅から地下道を大分歩いたところのZ会

 ビルが試験会場です。論語の試験と言うより、気

 分は中国語の試験のつもりになっていたので、昼

 食は途中にあった中華のお店で “木須肉” を食

 べました。おいしかった。私は時間が指定された、

 初めての待ち合わせ場所には、大抵1時間前には

 到着する習性が身に着いています。Z会に到着す

 ると、カウンターの中の人に「論語指導士の試験

 にきました」と言っても怪訝な顔をされました。

 到着が早すぎるとこういうことになります。

  クーラーがかなり効いた教室に案内されました。

 試験に中国語は出題されないのに頭の中は論語の

 中国語の音がぐるぐる回っています。スマホで

 「書き下し文」を目で追って抜けがないか確認を

 します。どうなる事でしょうね。

  試験は設問が20問か25問いやもっとあった

 かなぁ(忘れたごめん)と白紙に「好きな論語を書

 いて説明せよ」とありました。好きな論語は白文

 (中国語)で章句を書きました。そして、「書き下

 し文」を添えながら、其の意とすることは日本語

 ですらすらと書けました。自分の好きな章句を説

 明するのですから日々学習の成果を十分発揮でき

 なければいけません。


  論語の面白さは、私にとって子供の頃から聞か

 されてきたことを、改めて(難しい)文字で現して

 いるからかもしれません。始めて知る教えも多く

 毎度の様に「このように表現するのか」と感心し

 ていました。覚えようとしていますが、なかなか

 覚えられません。覚えれば忘れるの繰り返しです。

  いつしか孔子の生きた時代が目の前に浮かんで

 来て、『三国志演義』や『水滸伝』『西遊記』

 『金瓶梅』を読んだ時のワクワク感と同じものを

 感じていたのです。その時代の貴族の欲望と裏切

 り、政治の混沌と不誠実さが蠢き、庶民の貧しい

 生活の中での悦びや息遣いを感じて「今と変わら

 んな」と思いながら遠い過去の情景を空想してい

 ます。

  私にとって論語は、これらの中国の四大奇書と

 言われるものと同列にして楽しんでいます。


  「訓読文」は、その句点の付け方など、長い間

 の時代の流れの中で試行錯誤を積み重ねてきて、

 現在の形があるのだろう、と勝手に思っています。

 私のように漢文の学習を避けてきて、全く基礎知

 識がなくても、インターネット上にある学校の先

 生方のホームページの説明を読んだだけで理解で

 きます。私が勉強した章句の数はまだまだ少なく、

 この少ない範囲であるならば、ことさら難しいも

 のは無いようで「再読文字」「レ点」「一点」

 「上点」でほぼ足りるようです。白文(中国語)を

 不要な裏紙に印字して、覚えた「書き下し文」に

 従って句点と送り仮名を入れていきます。20枚

 くらい練習しますと大体できるようになります。

  最後まで苦戦したのは <送り仮名> でした。

 漢字の読みが、ひらがな2文字か3文字かで違っ

 てきます。子供の頃、如何に漢字を真剣に学ばな

 かったか思い知らされました。

  皆さまもぜひ「訓読文」へ学習幅を広げて頂き

 たいものです。理解の深みが大分変わってきます。

 ただ残念なことは一つ、訓読文を著した本が少な

 い事です。 

  何故なのか? 今も疑問のままです。答え合わ

 せに困っています。


  2500年前の孔子の頃の時代は、大昔に違い

 ないのですが、最近になって “ちょっと前の時

 代” の様に思えるようになってきました。明日

 にでも魯の国曲阜(山東省曲阜市)に行けば孔子に

 会えるかも知れないと妄想が始まります。会って

 どうすのでしょうね。

  「女(なんじ)礼を学びたるか」と、言われるの

 がせいぜいでしょうね。


  みなさまにも論語をゆっくりと学ぶことをお勧

 めします。覚える努力と忘れる悔しさをいつも感

 じて、嘗てあった中国の古代歴史に思いを馳せな

 がら、その“物語”を紐解くくらいの気持をもっ

 て読み進めるのも善いでしょう。そして頭に残っ

 た論語の言葉に悦びを感じましょう。

  あなたの脳はここまで随分と働き活性化したも

 のでしょう。

  私の論語の勉強は、たぶん“冥河”の岸に辿り

 着く頃まで続くものと、なんとなく感じています。

                 (宮本莞爾)
 






   私たちが話している言葉や、ワープロで打ち出

 す文字は、一体どこからやって来たのでしょうか。

  昔からの生活の営みの中で、話すうちに少しづ

 つ変化し、また表現も増えたりして、今の言葉が

 あるのです。

  私たちの文化の中心を成す現在の言葉は、昔か

 らの伝統的な言語を基礎にするものです。


     古典を学ぶとどうなるの?

 【一に】

   古典は、昔の人々の思想や価値観、社会のあ

  り方を反映しており、これを学習することによ

  り、現代の文化や価値観をより深く理解するこ

  とができるのです。

   漢文は日本文化の根幹をなすものです。和歌

  も物語も日記も随筆も、紫式部も清少納言も芭

  蕉も漱石も、基礎に漢文があるのです。漢文を

  学ぶことの重要性は論をまちません。そして日

  本人の心の故郷を訪ねていただきたいと思いま

  す。


 【二に】

   古典の音読や暗誦を通じて、文語表現のリズ

  ムや言い回しを身につけることができます。こ

  れにより、それから学ぶ文法や語法の学習理解

  が進みます。


 【三に】

   古典には人間の生き方や社会的な在り方につ

  いての教訓が多く含まれており、道徳教育の一

  環として活用することができます。

   特に『論語』は、思いやりや誠実さ、社会的

  正義など、現代にも通じる価値観を教えていま

  す。


 【四に】

   『論語』のような古典には、時代や文化を超

  えて通用する普遍的な知恵が含まれており、現

  代の生活や人間関係にも応用できる教訓を得る

  ことができます。


 【五に】

   古典を学ぶことで、知識を得る喜びや学び続

  けることの重要性を実感することができます。

  学びの楽しさを体感し、学習意欲を高めること

  ができます。


 【六に】

   古典を学ぶことは、単なる知識の習得にとど

  まらず、文化的・道徳的な成長を促し、現代社

  会における自己の在り方を考えるきっかけを与

  えてくれるものです。






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